島に生きる人「島でものづくりに挑戦するブラジルよりの来訪者〜糸数マルセロ〜」

ブラジルサンパウロ出身の糸数マルセロさんは日本移民の祖父母を持ついわゆる日系三世だ。日本人の祖父母と母、スペイン人の父との会話は全てポルトガル語である。

 

ずっと夢だった英語話者になりたいという目標を叶えるべく、18歳の頃母国ブラジルを離れ、単身日本へと出稼ぎに出た。スナックや建築会社などを転々とし、その2年後に念願の英語圏イギリスへと渡る。元々英語習得のみの目的でいたが、縁あって現地の大学に通うことになった。そこで学んだ土木技術がその後彼の人生の転機となる。

「アフリカで学校を建てないか?」

彼はすぐにアフリカへ飛んだ。4年間の滞在中に学校や病院建設に携わり、子ども達の笑顔に癒された。給料はさほど高くなかったが、それでも人々の役に立つ意義を感じ、人から感謝される喜びを知った彼はNGO活動の道に進むことを決意する。もっと沢山の人の笑顔を見るには、ここより大きな団体へ属する必要がある、そう考えた彼が真っ先に目をつけたのが日本のNGO団体。だが、日本語が上手くなかった彼は日本語能力の向上が先だった。

 

そんな時に偶々テレビで見た木工造船サバニに魅了され、慣れないひらがなで綴った手紙を造船所宛てに送った。その造船所というのが石垣島北部にある吉田サバニ木工造船である。彼にとっては一か八かの勝負であったが、予想外にも返事はすぐに来た。そうして2017年の冬、マルセロさんはここ石垣島へとやって来た。奇遇にもブラジルへと移民した彼の祖父母は沖縄出身であった。自分のルーツに呼ばれている、そんな気がした。

 

しかし、時は冬。石垣島の閑散期である。サバニの仕事も毎日あるわけではなかった。生活費に困った彼は、着いて早々ハローワークにお世話になる事になるのだが、そこで紹介されるのはホテルやレストラン職ばかり。何か今までにやったことのない仕事をしたかった彼は運良く陶工房の求人を探し出し、やまばれにある川平焼凛火に弟子入りする事が出来た。初めての陶工体験、一からの修行だった。慣れてくると次第にやり甲斐を感じ、片言だった日本語もぐんっと伸びた事により、今ではお客さんのシーサー作り体験を任されるまでに。

そうして冬場は焼き物を作りながら休みの日には造船所へと通い、ものづくり師としての技術を上げていった。

 

実は移住当初、外国籍であった為家探しに苦労し、結局石垣に着いたその日からずっと今までキャンプ生活だという。多い台風に悩まされることもあったが、世界一位に輝いた功績のあるこの島の海が住まいだなんていうのも、そう悪くはないだろう。

そして先日、応募した日本のNGO団体から採用通知が届いた。春からは中東アジアで再びNGO活動に専念する事になる。彼が石垣島に来てから1年と3ヶ月、この島で過ごす時間も残りわずかだ。